2017/04/17

日々のこと 4月のこと / 2017





夜の空気がとても気持ちよくて、九段下から一駅分歩いたら
お堀沿いの桜がとてもきれいだった。
コンビニでビールを買って、桜を眺めながら歩いていたら
とても楽しくなって、もう一駅分歩くことにした。
歩いていたら、2年前の夏に同じようにビールを飲みながら
歩いてはしゃいだ道に出て、懐かしく思い出して
結局新宿まで歩いていた。
2年前は二人だったけれど、この日はひとりで
そのことが寂しくもあり、こういう流れなんだな、と
妙に納得した。
とらわれるのはよくない。
作る時も日々をすごす時も。

自分の生活をする、ということを最近ずっと考えている。
そして、自分のつくるものが自分の生活のリズムの中にある、
ということ。
家族というもの、子供を産む、ということ。
今の状況では
全てちぐはぐで妙にリアリティがない。
「家」にいるのに、自分の生活でもなく
家族というほど近くもない。

仕事をしに行き、生活するように掃除をして
ごはんを作っているけれど、
決して私の家ではなく
最終的には帰る。
いつも、「帰る」時になぜこんなに違和感があり、
寂しくなるのだろうと思っていた。
寂しくなるのがいやで、そっけなく帰ってしまうことも多々ある。

それは、本来なら逆だから。
大切な人のところへ帰るのではなく
ひとりになりに行くから。
日中仕事をしながらどんなに一緒にいても
それは仕事上でのパートナーであり
自分が一番気を抜く時間の相方ではないから。
その自分の気持ちに気がつくのにこんなに時間がかかってしまった。



2017/03/29

日々のこと 3月のおわり


たくさんの言葉をもらって
そこから自分の中で咀嚼して考えて
いつもいつも時間がかかる。

びっくりするくらい変わったことと
ゆっくり変わっていくこと

どう伝えたらいいんだろうなぁと考える日々

自分なりの考えがあること
とか、当たり前のようでいていざ話そうとすると
言葉につまったりする。
ものづくりをしていても、日々変わっていくんだ。

生活の中に制作があること
ごはんを作る
食べてもらう
息を吸って、吐いて
細胞が生まれ変わって
毎日を生きている

2017/03/13

日々のこと 3月


いつも、この時期になるとつらそうだねといろんな人に言われるくらい
花粉症がひどい。
普段は薬を飲まないけれど、この季節だけは飲む。
のに、今年はまだ飲んでいない。
とくに何をしていたわけでもないのに、朝のぐずぐずと
昼間のたまにやってくるくしゃみさえ耐えれば
薬飲飲まないと辛くて!みたいにはならない。

朝、白湯飲んで、ヨーグルト食べて
花粉症に効くハーブティーを水筒に入れて持ち歩いて
夜は柿の葉パウダーを煎茶と混ぜて飲む。
だいぶ水分とってるし、体の成分が草になりそう。
甘いものはなるべくとらないのと、マスクをする。
それくらい。
今年は量が多くないのかな

そういえば、最近はずっと自分で作ったものを食べている。

2017/03/02

2月のこと


春と思うには寒くて、冬と思うには暖かい。

もっと自分を許してあげていいんだよ
というようなことを、友達に言われて2月が終わった。

自分が家族以外の人に自分の気持ちを感情的にぶつけるのは
初めてだなぁという月でもあった。
知らない自分に出会った。

強すぎる光
と、生まれる影。

「何か」が気になってしまう。
早く離れろと言われているのに。
その「何か」に気づかないと何も変わらないような気がする。

自分の性格も、男っぽいところも
悪いところしか言われなくて
そんな風に思っているのなら、
なんで一緒にいられるんだろう
この人は私に何を見ているんだろう。








2017/02/23

2017/2月にたどりついたこと


この前作ったパッタイ風ビーフンが、
自分でもおいしい!と思うくらいおいしくできた。
いつも、これはこうした方がよかったかもね。とか
もっとこうするともっとおいしくなるね
とか話しながら食べていたのが、
おいしいで満たされた。

去年から、いろんなことでたくさん悩んで
いろんな人と話して、悩んで、話して、悩んで
を繰り返し。
答えなんて出なくて、辛かったり悲しかったり泣いたり
忙しくて作ってる場合じゃない!と、今までなら思っていたような日も
アトリエでごはんを作った。

生活が中心にあること

って、どんな風に生活が変わるのか知りたかったから。
そして、一緒にごはんを食べる人に
どんなに忙しい時でも
ごはんの時間に気をぬいてもらいたかったから。

無言で食べる日も、微妙って言われる日もあって
心が折れそうになったり、変に卑屈になったり、
ごはんを作りながらごはんを食べる時間が苦痛だったり。
ものすごい紆余曲折を経て
ものすごい衝突もして
たどりついたパッタイ。

サラダ記念日的に、パッタイ記念日◎
なんて、言えるくらい初々しくもない。
それとも、サラダ記念日はそんな紆余曲折あったのかな。

食べ終わったあと、とても満たされて
何かが終わった気がした。
自分に知らない間に与えていた何かがすっとおりた。
そして、また始まる。

過ぎてしまえば、ストレートにいろいろ言われたことは
とてもありがたいことに思える。
伝え方はいろいろあるとは思うけれど。
これは、修行なんだろうか。
生きる修行


2016/11/08

日々のこと11月


少しずつアトリエの自分のスペースを片付けてたら
今まで気がつかなかった、かわいい影に気がついた。
.
秋田や仙台の移動時間や待ち時間、行きたい場所を詰め込むのではなく、
仕事のメールをしたり本を読んだり、
思いついたことをひたすらノートに書いたりぼんやりしたりしていたら、
なんだか頭の中がすっきりした。
移動している間に過ぎていく風景を見ながら、

頭の中も考えごとが通過する時間が私には必要なんだなぁ。

全く関係ないけれど、

深夜バスに乗って周りが見えない状態で目的地にたどり着くと、
時差ボケならぬ移動ボケというか土地ボケというか、
辿り着いたことはわかるけれど身体の何かの感覚が追いつかなくて
どこにいるのかしっくりいかないような不思議な気持ちになる…
っていうのは年のせいですか?
.
2週間のヨーロッパ旅行でも秋田でも益子でも
気がついたら大学を卒業してから
作ることだったり、飲食店だったりで仲良くなった人たち
一緒に寝泊まりしたり、会えてものすごく嬉しくなったり
シェアオフィスとか一緒に旅行で寝泊まりで長いこといるとか、
気をつかえないことに気をつかって、

さらに協調性ないから無理〜とか思ってたことの壁を越えて、
会いたいからとか、ここに行きたいから、とかで行動して

大人になってからこういう人たちに出会えることに
最近旅の終わりごとに感動しているのは、年のせいですか

2016/07/26

日々のこと7月


気がついたら7月も終わりで、親の入院生活が始まった。
都知事選で鳥越さんの公約の中に癌についての項目があって
それでまた、根本的な癌の治療についてもやもやと考えてしまった。

今までの薬が効かなくなって、新しい薬にするために入院するのだけれど。
それはもう慣れているはずで、こういう治療を受け入れている親の生き方も
人それぞれだからいいのだ、とだいぶ思えるようになったけれど。
やっぱり、抗がん剤ってどうなの?ということと
そこにからんでいるであろう利権とか
他の治療が安くるような状況にならないこととか
そんなことを考えると
どれだけ早期発見しても、もっと治療法変えていかないと
みんなぼろぼろになってしまうじゃない、と思ってしまう。
そこまで言及してくれたら、いいのになぁ。

副作用で大変な状況になっても、
それでも「治療」という言葉で「生きている」と思える。
思えることは大切。きっと。
でも、と思ってしまう。
でも、そうなのかな。

もしも自分が今癌が発見されたら
私はどんな治療法を選ぶだろう。
いや、選べるほどお金ないなぁ。
でも抗がん剤は嫌だなぁ。
そしたら、思いっきり笑って生きて死ぬかなぁ。
それは今子供がいないからかなぁ。
子供や自分自身の家族がいたら、いやでも抗がん剤治療するかなぁ。

肌荒れやむくみやいろんな副作用を抱えて
その副作用のための薬も追加で飲んでいる親を見ていて
たまに、そんなにがんばらなくていいんだよ
と、悲しくなってしまう時もあるけれど
親は親なりの強さなり優しさなり生きることへの力があるのだ。

本当の優しさってなんだろう。
「治療」とか「生きる」とかなんなのだろう